100斤ペンとサクラクレパスと無印の落書き帳でラクガキ
大宮 万宙
安価な材料で落書きタイムラプス
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昨今AIの技術進歩めざましく
アーティスト要らずな時代がやってこようとしている
そんな渦中に弱小画家ができる事は何なのかと
うっすら考えてしまう
うっすらかい?!
真剣に考えろ!!
と言われそうであるが
あまり深刻に考えてはいない
私自身
AIがどんなものかと
SUNOというAIで作曲してみたり
ChatGPTで画家に相応しい副業探しの相談に乗ってもらったりと
案外楽しんでいる
ChatGPTに至っては
ちょっとした頼りになる友人感覚だ
確かに
今後さらに 驚愕するような
画家顔負けの作品をAIが生み出すであろうが
五感を感じ取ることや第六感に関して
人間同士が何かを共有することの喜びが消えるのか?
といえば
人間がロボット化しない限りはそれは無い気がしている
いや、
ロボット化させようとしているのかもしれないが
確かにこの世が仮想現実であるとすると
向こう側に行く術をAIが突き止めてしまうとかあるのかもしれないし
人類が Neo化 (映画マトリックス)するかもしれないけれども
んんん
人類が生み出したAIの技術が
この宇宙のクリエイターの
意図や技術を越える事は
まず無いと思えてならない
魂?意識?霊感のような見えないものを
証明することが先ではないか?と
けれど
AIを軽視しているのではなく
素晴らしい指南役にはなってくれるのであろうと思う
人は人らしく
AIはAIらしく
それぞれの性分を美しく進化全うする術を
自然科学から学ぶべきなのだろうと
なんとなく感じている
なので弱小画家の私としては
この時代
より深く より自由に
自己探究してゆく作品作りを目指そうと思う
心が感じる、反応する、を基軸に
たとえ
すっかりAIと同じものができあがったとしても
私から生み出されたという 事実 が
大切なのだ
つまり
人らしさ! を楽しむことが
これからの課題なのかも?
などと
画家の生き残り問題から
取り留めなく
思い巡らし書き綴ってしまった…
.
…うまいこと共存できれば良いな
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